色んな人の好きな詩はあるけれど、「詩人」という響きによって想像する人物として、中原中也が最初に浮かぶ。彼は、生き方として詩人だった、もっと言えば、詩人として死んでいった、とそんな風に思う。
子供の頃のある冬の寒い朝に、亡くなった弟の喪失を歌ったのが自分にとっての詩の始まりだったと中也は綴っている。残された日記などを読んでも、書かれているのは詩のことが多く、晩年──彼は三十歳で世間の評価を知ることなく亡くなる──に残した「散文氾濫の世の中に、たまには小鳥の歌もあるほうがよろしゅうございましょう」という言葉からも伝わってくるように、人生を通して、まるで絵に描いたような「詩人」だった。
また、詩と向き合っていた、ということはもちろん、トレードマークの山高帽など黒づくめの出立ちや、なんともはた迷惑なエピソードも残っている酒癖の悪さ、友人・小林秀雄との三角関係と恋人との別れといった象徴的な逸話など、そこには、絵に描いたような詩人というだけでなく、ある種「漫画的」と言ってもいいかもしれない切ない躍動感も見られる。
だからだろうか。小林が身近な若い天才詩人の存在に抱いた葛藤をベースに描かれた、月子さんの漫画『最果てにサーカス』を読んでいると、その世界を無邪気に闊歩し、歌う中原中也に、伝記など文章を通して感じる詩人とはまた違った、生き生きとしたリアリティがあるように思えた。
この作品は、残念ながら途中で打ち切りになってしまったが、ときおりふっと挟み込まれる詩と絵も、まるで詩画集のように美しく、続きが読みたいと思う、好きな漫画の一つだ。